· パイロットの目 · 10 min read
1985年8月12日の記録 - 報道現場からの証言
1985年8月12日の夕方、私たちは新橋で何かの打ち上げだったと思います。パイロットと整備さんで焼き鳥屋の座敷に座っていました。 暑い夏の日でした。 ビールが運ばれてきて、みんなの前に置かれ、さあ「カンパ〜〜い」と言ったその時、お店の人から声をかけられました。 「部長!産経のデスクから電話です」 「...
忘れられない夕暮れ
1985年8月12日の夕方、私たちは新橋で何かの打ち上げだったと思います。パイロットと整備さんで焼き鳥屋の座敷に座っていました。
暑い夏の日でした。
ビールが運ばれてきて、みんなの前に置かれ、さあ「カンパ〜〜い」と言ったその時、お店の人から声をかけられました。
「部長!産経のデスクから電話です」
「なんで、ここにいるのがわかったんだ」
「おい、みんな、飲むな!!」
部長は怪訝な顔で電話に出ました。
電話を終えた部長の表情が一変していました。
「今から会社に帰るぞ。飛行機が落ちたらしい」
緊急出動への準備
タクシーで会社に向かう車内では、JAL大阪行きの便と連絡が取れないという速報がラジオから流れていました。まだ詳細は何もわかっていない状況でした。
会社に到着すると、整備士は機体の準備に、私たちは情報収集のために各所への電話に追われました。自衛隊、米軍関係者からの情報で、レーダーの機影が途絶えた地点がおおよそ判明してきました。
S76という最新鋭の取材機に機長、副操縦士と私を含め2人が偵察要員として後部キャビンに乗り込み、現場に向かいました。
真っ暗な山中での捜索
離陸後すぐに横田のレーダーサイトと連絡を取り、123便の機影が消えた地点への誘導を要請しました。羽田からの方位と距離の情報をもらい、その方向へ直行しました。
15分ほど飛行したでしょうか。その日はまったくの闇夜で、山の稜線も真っ黒で識別できませんでした。地図上で付近の山の高さを確かめ、そこからの安全な高度を選定して飛行しました。
この機体には地上の山や障害物との距離を測る装置が装備されていたため、真っ暗な夜でも地面との距離を保ちながら慎重に飛行できました。
私はキャビンの後部ドアを開け、床に腹ばいになって顔を外に出し、下方を注意深く観察していました。
小さな炎を発見
約10分間、付近の山岳上空を飛行していた時でした。
山間にちらっと火が見えました。
「あそこだ!」
すぐに旋回して向かいましたが、真っ暗な中に小さな火が燃えているのが一瞬しか確認できませんでした。
高度が高いため空気密度が少なく、ホバリングができません。できるだけ遅い速度で飛行するのですが、炎は谷間で燃えているため、旋回中は山の稜線に隠れてしまいます。谷間の開けた方向からの数秒間しか確認できませんでした。
ギリギリの高度で飛行しながら、一瞬見える炎を捉えようとカメラマンは格闘していました。
やがて横田レーダーから連絡が入りました。
「RF-4ファントムが上空に進入するため、離脱してください」
私たちの上空に、白いストロボライトとナビゲーションライトを点けた2機が現れ、炎の見えた上空を往復し始めました。真っ暗闇の中での危険を考慮し、すぐに羽田への帰投を決めました。
現場の緯度経度を正確に航法装置に記録し、翌朝すぐに現場に向かえるよう準備しました。
夜明けとともに再び現場へ
羽田に戻ったのは夜10時頃でした。翌朝の日の出と同時に飛行するため、短い仮眠を取りました。
私は前夜の位置を地図で確認し、サイテーションでのフライト計画を作成。航空局に時間外離着陸の申請を行い、日の出前に離陸して現場上空に日の出時間に到着できるよう準備しました。
朝3時にはチーム全員が起床し、慌ただしくフライト準備に取りかかりました。ニュースではまだ「行方不明」としか報じられておらず、墜落位置は不明とされていました。
3時30分、まだ暗い中で機体に乗り込み、エンジンを始動。静寂に包まれた羽田の誘導路を移動し、シーンと静まり返った滑走路から離陸しました。
離陸してすぐに太陽が昇り始め、あたりがうっすら明るくなってきました。
現場で目にした光景
離陸から15分後、記録していたポイントに向かって降下していくと、私たちの目に入ってきたのは、緑の木々の間に茶色く焼けた尾根の様子でした。
航空機としての形は、ほとんど確認できない状態でした。尾根の付近には銀色の飛行機らしき部分も見えましたが、ほとんどのものが形を留めていませんでした。尾根の両脇が大きく茶色に焼けただれ、谷の中ではまだ火が燻っていました。
後続のヘリコプターへ、「羽田から西北西、111kmの地点」と正確な位置を連絡しました。
予期せぬ機械トラブル
私たちは上空を旋回しながら写真撮影を行いました。やがて他の取材ヘリも集まってきたため、私たちは少し高い高度で取材を続けました。
しかし、現場に着いた後続のヘリコプターに予期せぬ事態が発生しました。取材機が現場上空に到着すると同時に、エンジンのチップディテクターが作動したのです。
これはエンジンのタービンやギヤボックスの金属片を検知する警告装置で、作動した場合はすぐに不時着を考慮する必要があります。カメラマンが窓を開けると同時に警告が出たため、写真も撮れずに引き返すことになりました。
いつエンジンが停止してもよいよう、多摩川沿いを飛行して羽田に戻ったそうです。
その日は他社の機体もエンジンの不具合で、多摩川の河川敷に不時着していました。
約30分後、自衛隊の救助ヘリが上空に進入するため、取材機は現場から離れるよう指示を受けました。自衛隊のバートルが現場上空に入ってきました。
羽田に戻ってニュースを確認しても、まだ「墜落したか位置は不明」と報じられていました。朝8時頃になって、ようやく「秩父山中に墜落」というニュースが流れ始めました。
今思うに、事故現場の統制が取れるまで、余計な野次馬的な航空機が入ってこないよう位置を報道しなかったのだと思います。