· パイロットの目 · 11 min read
スケジュール表に支配されていた30年間
毎月末になると、翌月の乗務スケジュールが発表される。どこのステイがあるか?審査が入っているのか?楽しみと不安が入り乱れた気分になる。 「来月は福岡2泊3日が2本、青森泊まりがあるぞ!、あ〜また審査FLTだ...」 スケジュール表を眺めながら、私の一ヶ月が決まっていく。朝一番の出発なら3時起き、前日の約束は入れない。
スケジュール表が人生を決めていた頃
毎月末になると、翌月の乗務スケジュールが発表される。どこのステイがあるか?審査が入っているのか?楽しみと不安が入り乱れた気分になる。
「来月は福岡2泊3日が2本、青森泊まりがあるぞ!、あ〜また審査FLTだ…」
スケジュール表を眺めながら、私の一ヶ月が決まっていく。朝一番の出発なら3時起き、前日の約束は入れない。2泊3日で遅いパターンで帰るので、次の日は遊びのスケジュールを考える。でも2日休みでも、その次の日は次のスケジュールに向けて準備になってしまう——。
会社のスケジュールを中心に、生活のすべてが回っていた。まるで衛星が地球の周りを回るように、JALという大きな存在の引力に引かれて、私の日常が組み立てられていく。
人との出会いでも、必ず「JALの機長の小野です」と紹介される。相手の目に映るのは、制服を着た「JALの小野機長」だった。
副操縦士の頃は、何かいつも足りない感じがしていた。「副操縦士の小野です」と言っても、どこか中途半端な印象を与えているような気がしていた。
機長になった時は嬉しかった。「機長の小野です」と紹介されることに、確かに喜びを感じていた。ようやく一人前として認められた気がした。
でも、時が経つにつれて、それが違和感に変わっていった。40歳を過ぎた頃からだろうか。
「機長の小野さんって、フライトの時だけなんだけどな…」
正直、尊敬されたり頼りにされたりするのは気持ちが良かった。でも同時に「これって会社の看板だし、パイロットがすごいんじゃなくて、飛行機がすごいんだよな」とも思っていた。みんなが見ているのは、小野和彦という人間ではなく、JALという会社の制服を着た機長なんじゃないかって。
CAが私を呼ぶ時、「キャプテン、キャプテン」と呼ぶことがよくあった。そんな時は、たいてい、私の名前を覚えていないのだ。
便利な呼び方だとは思う。でも、だんだんと「小野和彦」ではなく「キャプテン」として扱われているんだなと感じるようになった。
「小野和彦って、何者なんだろう?」
この疑問は、この頃からずっと心の片隅にあった。
すべてが一度に終わった日
会社の経営破綻で早期退職者に。年齢的にもそろそろかなと思っていた。
DC9型機の引退と私の退職を合わせて、ラストフライトの日程も決まっていた。35年間のパイロット人生の締めくくりとして、きちんとした終わりを迎えられるはずだった。
ところが、ラストフライトの10日前。副鼻腔炎の検査で撮ったMRIで、下垂体腫瘍が見つかった。
「申し訳ありませんが、フライト停止です」
医師の言葉で、すべてが変わった。
退職の時も手術、その後も手術。その時は、その場その場の対処で、ただただ忙しかった。
でも退院して、鼻にガーゼが詰まって眠れない日が続く中で、ふと将来のことを考えた。
「これから何をして生きていくんだろう?」
航空大学校からパイロット一筋。他に何ができるかわからない。35年間積み上げてきたものが、突然使えなくなった。
今思うと、人生って、自分に関係ないところで変わっていくものなんだな。会社の経営破綻も、下垂体腫瘍も、自分ではどうしようもない。でも、それにどう対応していくかが求められている気がする。
考えてみれば当然かもしれない。35年間、「JALの機長」として生きてきたのだから。でも、会社もなくなり、パイロットとしても飛べなくなった今、「小野和彦」とは何なのか?
「自分らしさ」は実在するのか?
「自分らしく生きよう」
よく聞く言葉だけれど、そもそも「自分らしさ」って実在するものなのだろうか?
内側を探っても、「これが本当の自分だ!」という確固たるものは見つからない。まるで玉ねぎの皮を一枚ずつ剥いていくように、「これは会社での自分」「これは家族といる時の自分」「これは友人といる時の自分」と剥いていくと、最後には何も残らないような気がした。
鏡に映る自分の発見
でも、ある時気づいたのは、自分らしさを感じる瞬間があることだった。
例えば、苦しい時も笑顔でいられるよう努めている時。周りの人から「小野さんがいると安心します」と言われた瞬間、「ああ、これが自分なんだな」と感じる。
または、複雑な問題に直面した時、一つ一つ分けて、優先順位を決めて不安がらずに処理する。そんな時、周りの人から「小野さんの視点、すごく参考になります」と言われた時。
そんな瞬間に、「小野和彦」が浮き上がってくる。
行動の先に現れる「自分」
つまり、自分らしさって、最初から心の奥に隠れているものじゃないのかもしれない。
むしろ、決断と行動の積み重ねなんじゃないだろうか。
日々の小さな選択から、人生を左右する大きな決断まで。その一つ一つが積み重なって、周りの人が「あなたらしいね」と認識する。
困っている人を見た時、声をかけるかどうか
難しい問題に直面した時、どう向き合うか
プレッシャーの中で、どんな判断を下すか
その瞬間瞬間の決断と行動が、「小野さんらしさ」を作り上げていく。
「自分らしさ」は他者が教えてくれる
面白いことに、パイロット時代、一番「自分らしい」と感じる瞬間は、他の人からのフィードバックを受けた時だった。
「小野さんだと、絶対に降りてくれると思っていました」 「小野さんと一緒だと自信が出ます」
そんな言葉をもらった時、「ああ、自分の決断や行動がそう映っているのか」と発見する。自分では当たり前だと思っていた選択や行動が、実は「自分らしさ」として認識されている。
パイロット時代には、確かに自分らしさが出ていたのかもしれない。
つまり、自分らしさは、決断と行動の結果として、人が定義してくれるもの。
でも退職後は、自分の思いがあやふやで、自分でも自分らしさがわからない。
あなたの「決断と行動」が作るもの
私自身、まだ答えが見つかっているわけではないけれど、何度も恐怖で飛び起きた夜、考えた。
小野和彦として生きていきたい。何ができるのか、何かを成すためにどうすればいいのか?その結果が、自分らしさになるような気がする。
正解があるわけじゃないと思うけれど、今もそんなことを考えながら日々を過ごしている。