· パイロットの目 · 11 min read
第1回:「もうやめて帰った方がいいよ」- 挫折から始まった空への道
こんにちは。 今日は、私が20歳の時に体験した出来事をお話しします。50年経った今でも、鮮明に覚えている出来事です。 「もうやめて、帰った方がいいよ」 航空大学校帯広分校の格納庫の裏。秋の夕暮れ、傾いた日差しが頬に当たる中で、教官から告げられたその一言。 二十歳の私は、脚が震え、言葉を失いました。
こんにちは。
今日は、私が20歳の時に体験した出来事をお話しします。50年経った今でも、鮮明に覚えている出来事です。
プロローグ:格納庫の裏で告げられた絶望
「もうやめて、帰った方がいいよ」
航空大学校帯広分校の格納庫の裏。秋の夕暮れ、傾いた日差しが頬に当たる中で、教官から告げられたその一言。
二十歳の私は、脚が震え、言葉を失いました。ソロチェック(一人で飛行できる能力を判定する審査)の数日前のことです。
パイロットになるという夢が崩れ落ちるのを感じました。
振り返ってみると
30年以上のパイロット人生を振り返って、正直に言います。
「よくここまでたどり着いたな」
これが率直な感想です。最終的には日本航空で機長として、150人の副操縦士・機長を統括する第一路線室長まで務めました。でも、その道のりは決して順風満帆ではありませんでした。
むしろ、挫折と再挑戦の連続でした。
「日の当たる場所に行きたい」- 全ての始まり
私がパイロットを目指した理由?実は、とても単純でした。
高校時代、尼崎東高校の柔道部員だった私。汗と埃にまみれた道場で練習する毎日。窓の外では、サッカー部や野球部が青空の下で活動し、女子生徒の視線を集めていました。
「日の当たる場所に行きたい」
要するに、女の子にモテたかったんです。
二年生になって思い切って柔道部を辞め、ラグビー部に入りました。しかし、そこは学校でも「札付き」の問題児集団。薄いカバンの中にチェーンが入っているような人間ばかり。試合は連戦連敗で、勝てるのは灘高校だけでした。
そんな混沌とした高校二年生の夏、ふと「将来、何になろう」と真剣に考え始めました。
運命を変えた一冊の雑誌
そんな時、雑誌で航空大学校の記事を発見。小学校時代から飛行機のプラモデルばかり作っていた私にとって、それは運命的な出会いでした。
「航空大学校に入ればパイロットになれる」 「しかも、つい二年前から高卒者にも門戸が開かれた」
青い空、白い雲の上を飛ぶパイロット。制服姿で颯爽と歩く姿は、まさに「日の当たる場所」でした。
夏休みから猛勉強を始めましたが、夏から始めて受かるわけもなく、九月の学科試験では全く歯が立たず、あえなく不合格。一年浪人することになりました。
現実という名の試練
最初の挫折:空酔いという皮肉
翌年、人並みに勉強して、ようやく航空大学校に合格しました。大阪空港のCAB事務所に合格結果が張り出されたときの喜びは今でも忘れられません。
ところが、その前に受けた自衛隊航空学生の試験で、飛行機に乗った途端に空酔いで失格。
「パイロットを目指しているのに、飛行機に酔うなんて…」
航空大学校での現実
宮崎での座学を経て帯広分校での実機訓練開始。44人の同期生の中で、私は決して優秀ではありませんでした。
飛ぶたびに嘔吐を繰り返し、操縦も安定しない。操縦は一生懸命すぎて、一点集中になってしまい、傾きを直そうとすると高度が守れず、高度を守ろうとすると方向が守れない。そんなフラフラとしたフライトが続きました。
人生を賭けた10分間:ソロチェック
そして冒頭のシーン。教官からの「やめて帰った方がいい」という言葉。
でも、私は最後まで諦めませんでした。
「ソロチェックで落ちたら帰りますから、そこまでやらせてもらえるように」
頼み込んで、何とか首をつなぎました。
その日のこと
ソロチェックは、離陸をして、滑走路周辺の上空を決められた航路で一周して着陸する10分程度のフライトです。
その日は、操作の忘れ物もなく、高度も大きく狂わず、着陸もスムーズにできました。
何が上手くいったのか分かりませんが、私はなんとかセーフでした。
教官のあの一言で開き直れたのが良かったのかもしれません。教官は、私の緊張しすぎを心配して、チェックの前に言ってくれたのかもしれません。
しかし、私よりも成績の良かった7人もの学生が落とされてしまいました。
この体験から気づいたこと
能力が高い人でも、心が折れてしまえばそこで終わり。逆に、能力が劣っていても、心が折れなければチャンスは巡ってくる。
そして、困難な状況に直面した時こそ、本当の自分が試される。プレッシャーの中で開き直ることができるかどうか。これが、その後のパイロット人生で何度も私を救ってくれました。
同じような状況の方へ
「自分には向いていないのではないか」 「もう諦めた方がいいのではないか」
そんな気持ちになること、ありますよね。
私の経験から言えるのは、困難の真っ只中にいる時には、なかなか全体像が見えないということです。格納庫の裏で教官に言われた時、私には絶望しか見えませんでした。でも、それは終わりではなく、本当の始まりでした。
完璧でなくても構わない。人より劣っていても構わない。心を折らずに、小さくても一歩ずつ前に進み続けること。それが大切なんだと思います。
最後に
今、同じような状況にいる方がいらっしゃるとしたら、一つだけお伝えしたいことがあります。
今の困難は、終わりではなく始まりかもしれません。
読者の皆さんと
あなたも「諦めそうになったけれど、続けて良かった」という体験はありませんか?コメント欄でシェアしていただけると、同じような困難に直面している他の読者の方の参考になります。
次回予告
次回は、航空大学校での過酷な訓練の実態について詳しくお話しします。「出すな!飲み込め!」と言われた忘れられないエピソードを通じて、逆境での精神力の鍛え方についてお伝えします。
今では考えられないスパルタ教育の中で、私たちは何を学んだのか。そして、それがその後のパイロット人生にどう活かされたのかをお話しします。
今日も読んでいただき、ありがとうございました。
小野和彦