· パイロットの目  · 13 min read

ヘリコプター免許取得後の現実

卒業式では、家族を呼んで、その前で編隊飛行を披露します。 訓練の後半は、編隊飛行の訓練でした。編隊を組む時は、計器も外の景色も何も見ません。付いていく機体だけを見ています。 アンテナやスキッド(着陸脚)などの見え方を一定にするように操縦します。自分が動いているのに、相手が動いているように感じてしまうのです。

卒業式での編隊飛行

卒業式では、家族を呼んで、その前で編隊飛行を披露します。

訓練の後半は、編隊飛行の訓練でした。編隊を組む時は、計器も外の景色も何も見ません。付いていく機体だけを見ています。

アンテナやスキッド(着陸脚)などの見え方を一定にするように操縦します。自分が動いているのに、相手が動いているように感じてしまうのです。

「傾く前に直せ」と同じように、相手の機体の動きを予測して操縦しなければ、ついていけません。ブルーインパルスのようにピッタリと張り付いたように飛行するのは至難の業です。

編隊飛行の披露も終わり、無事卒業式も終了しました。

現実という名の冷水

晴れて卒業して会社に挨拶に行きました。

「これでお給料もしっかりもらえて、晴れてジェットヘリの訓練に入って、仕事につける」

意気揚々と羽田の整備場にある格納庫に挨拶に行きました。面接の時にお会いした総務部の部長と会ったのですが、信じられない言葉が出てきました。

「今、会社の業績が思うように行かず、人を増やせない。ついては、このまま嘱託契約で、整備の手伝いをしてほしい」

最初の話では、訓練が終われば本採用、東京採用なので引越し費用支給、社宅扱いになるはずでした。ところが今、大阪に住んでいるので八尾空港基地採用だというのです。

整備のつなぎを着て、八尾での整備の手伝いの日々が始まりました。

今更、子供を抱えて何の選択肢もありません。そのまま、言いなりです。

でも、飛行機の近くで働けるだけで、なんか幸せな気分になってました。いつか、パイロットにはなれるだろうと何となくの期待感だけで生きてました。

薬剤散布の手伝い:朝3時からの重労働

薬剤散布の手伝いが主な仕事でした。

2トントラックに燃料のドラム缶を積んで、薬剤散布のヘリコプターについて回ります。茨城や千葉の田舎の小さな宿に雑魚寝しながら、点々として散布をしていく日々。

私にとっては、出張旅費をもらいご飯も食べれるので、大変助かりました。

朝3時に起きて、現場のヘリポート—といっても畦道の上にヘリが降りているだけ—へ向かいます。朝日が昇り、朝露が乾くまでに薬剤散布を終えます。9時前には終わり、次の散布の場所に移動します。

私の仕事

薬剤を積むので、燃料は少なめにします。薬剤を積む間に燃料のドラム缶から、手回しポンプで燃料を機体に注入します。農薬を水で薄めて準備。

このポンプ手回しと農薬の積み込み、飛行前の準備、飛行後の機体清掃や野外駐機の処置が私の仕事でした。

物資輸送の手伝い:山奥での危険作業

物資輸送の手伝いもします。

山奥にある送電線の建設で、鉄塔の鉄骨を山の上の現場に麓から運ぶ仕事。基礎のコンクリートを打つために生コンを100回くらい運びます。

下で、生コンや資材を機体からぶら下がったワイヤーのフックにかける仕事—これが私の役割でした。

ヘリコプターにはいろいろな仕事があることを知りました。薬剤散布、物資輸送、そして乗鞍のヘリスキーでの観光客輸送。多様な現場を見ることで、ヘリコプターパイロットの可能性の広さを実感しました。

当時のヘリコプター事業部:本当の強者たち

当時のヘリコプター事業部には、本当に「強者」と言える人たちばかりでした。まさに野武士のような人たちです。

東亜国内航空のヘリコプター事業部は、路線運航の安全の考えが浸透していて、安全に対する意識が非常に強かったのです。ヘリは一人で全責任を負って飛行します。自分の技術が自分の命を守る—そんな世界で生きている人たちでした。ミリ単位で操縦できる技術を持っていました。

神業的な着陸精度

薬剤散布を実施するときは、田んぼの軽トラックが通れるぐらいの幅の道をヘリポートにします。そこで散布する農薬や燃料を積み込みするのです。

何回となくその場所で着陸を繰り返すのですが、スキッド(ヘリコプターの下部についている脚)の跡が、左右一本ずつしかないほど正確に着陸を繰り返すパイロットもいました。

農家の方々の温かいもてなし

薬剤散布が終わった後、農家の方がおにぎりを握ってくれます。そのおにぎりの美味しさは忘れません。朝の爽やかな空気の中で食べるおにぎりは格別でした。

米ってこんなに美味しいんだと感動しました。

しかし、年月が経つにつれ、だんだんと菓子パンになり、朝ごはんの用意もなくなりました。時代の流れとともに、あの温かいもてなしも変わっていったのです。

散布が終わった後、農家の方が宴会を開いてくれることもありました。お酒を振る舞ってくれるのですが、朝から何も食べていない中でお酒を飲んでしまいます。

私たちは終わりではなく、この後次の散布場所に飛行していかなくてはいけません。

確かな操縦技術

もう時効だと思いますので話しますが、機長は結構グデングデンに酔っています。

「小野、どっちに行くんだ」

「あっちの方向です。あの山の向こう側です」

フライトだけはしっかりとしています。酔っても操縦技術だけは確かでした。

補助で私が横に乗って着陸場所に誘導します。トラックは営業の人が乗って次の現場へ向かいました。

農薬散布の現実

朝靄の中、農薬を溶いているとき、周りのトンボがいなくなります。朝の爽やかな空気の中に農薬のツーンとした匂いが広がります。

ドラム缶からハンドポンプで、50回と回数を決めて燃料を注入します。途中で数を数え間違うと重量オーバーになるので、その時は集中して他のことに耳を貸さないようにします。

山間での精密作業と危険な瞬間

また送電線建設で、送電線の基礎のための生コンを麓の基地から、山の斜面へ輸送する仕事があります。

生コンのバケットを10m近いワイヤーでつり下げて飛行し、揺らすことなくピタッと投下する機材の上に止めます。あんな大きなものが振れ出すと、下で作業する人たちは生きた心地がしないでしょうし、周りにコンクリートをぶちまけてしまいます。

私を横に乗せて、反対側の間隔を確認させ、近くの杉の枝をバシッ、バシッと切りながら、生コンや鉄塔の資材を平然と置いてきます。

それを山間の気流の悪い障害物だらけの中で、何回となく運ぶのです。

送電建設では、大きな送電線を巻いたドラムを吊り下げて、送電線を鉄塔の上に渡していく作業もありました。鳶の人が10m以上ある鉄塔の上を、ワイヤーが通ると走って取りに来て、所定の位置にはめ込んでいきます。足がすくむような光景でした。

そのうちにワイヤーのドラムの回転が振動を起こして、それがヘリの機体に影響してコントロールができなくなり、横の林にドラムを切り離して難を逃れたこともありました。

その技術は、まさに神業でした。私にとって、これらのパイロットたちは憧れであり、目標でもありました。

現実と向き合う日々

ヘリコプターの免許は取得できました。しかし、実際にパイロットとして飛ぶまでには、なかなかです。

整備の手伝い、薬剤散布の支援、物資輸送の補助—これらの仕事を通じて、ヘリコプター運航の現実を目の当たりにしました。

机上の訓練では学べない、本当の意味での「現場」がそこにはありました。厳しい環境の中で、自分の腕だけで、確実に任務を遂行するプロフェッショナルたちの姿は、私にとって大きな学びとなりました。

次回は、やっと訓練に入れる話です。

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