· パイロットの目 · 10 min read
全体が見えない組織で働くということ
肌で感じる瞬間 「何やってるんだよ、早くしてくれよ」 そう思われていることを、肌で感じる瞬間がある。 自分たちは必死なのに。 でも相手には、その必死さが見えていない。
肌で感じる瞬間
「何やってるんだよ、早くしてくれよ」
そう思われていることを、肌で感じる瞬間がある。
自分たちは必死なのに。
でも相手には、その必死さが見えていない。
正直に言うと、私も逆の立場では同じことをしていたと思う。
便の遅れが教えてくれたこと
秋田から羽田の便でした。
雪で大幅に遅れていました。
次のフライトの準備をしたい。
いつまで経ってもお客様の降機の連絡が来ない。
客室に様子を聞くと、「脚の悪いお客様がいらっしゃって、車椅子を用意したんですが、押す係員がまだ来ていないんです」という返事だった。
飛行機のドアのところで、お客様は待ち続けた。
私たちも待った。
次の便の出発時刻が迫っていく。
やっと担当者が現れて、車椅子を押していった。結果的に、次の便も20分以上遅れた。
その場にいた全員が、「誰でもいいから、押していってやれよ」と思っていた。
でも、よく考えると、車椅子を押す係員だって別の場所で別の仕事に追われていたのだろう。
他の地上職員の方も自分の仕事に追われていたのだろう。
見えていない世界
飛行機の運航は、とても広い範囲で動いている。
今いる場所は晴天で風も穏やか。でも北では大雪、西では大雨。その影響で、便はどんどん遅れていく。
でも組織が大きくなると、今いる場所しか見えなくなってしまう。
千歳の大雪で遅れて、やっとの思いで目的地に着く。
朝からクルー全員が、何も食べていない。
30分くらい遅れているのだが、みんなにお弁当を食べさせた。
みんな、3分くらいで食べてしまう。
到着地の地上職員はドアのところに立って、苦虫を潰したような顔で、こちらを睨んでいる。「なんで遅れているのに、すぐ出ないんだ」と。
一度、話す機会があった。
便と便の間に、気象を調べたり、燃料の変更をしたり、様々な調整があることを、彼らは知らなかった。
自分たちは次のゲートに行かなければならない。それだけが問題だった。
まあ、私だって地上の仕事のことは何も知らなかったのだから、お互い様なのだけれど。
同じ制服、違う世界
もっと根深い問題がある。
運航部門は24時間、正月もお盆もない。私も現役時代、お正月に正月休みを取ったことは一度もなかった。
でも事務職の人たちは、そんな運航部門の働き方を知らない。
自分が休んでいる時は、人も休んでいると思っている。
とにかく遅れてはいけない。そのプレッシャーが、年々強くなっていった。
私たちは弁当を食べる余裕もなく、到着する。
でも地上職員の表情は、「何食ってんだ」という感じだった。
彼らが悪いわけじゃない。見えていないだけだ。
同じ会社で、同じ制服を着ていても、まったく違う世界で働いている。
皮肉なことに、「チームワーク」を掲げる会社ほど、この溝は深かったりする。
分業化という名の分断
ヘリコプター事業部時代は、運航のほぼすべてを自分で掌握できていた。
運航計画、許可申請、燃料計算。一人で全部やった。
それが路線に移ると、少しずつ分業化されていく。
会社も変わっていった。日本国内航空、東亜航空が一緒になって東亜国内航空。さらに日本エアシステム、そして日本航空インターナショナルへ。
その間に、業務の効率化と人件費削減のため、どんどん分業化とアウトソーシングが進められた。
各部門の効率や費用は、改善しているように見えた。
でも、少しずつ全体が見えなくなっていった。
業務だけじゃない。働き方も、生活リズムも、見えなくなった。
一つの連絡ミスが、全体の運航に影響するようになった。
かつての風景
便数が少なかった時代、地方の運航担当が会社の組織の一部の時は、全然違った。
北で大雪の予報が出ると、宮崎や沖縄の地上スタッフまでが、朝から対応していた。
「千歳から繋がる便は遅れが出る」
誰に言われるでもなく、みんなが動いた。
全体が見えていたから、だと思う。
気象状況が悪くなりそうな時は、事前に詳細な情報をくれる。
お互いの働き方も、なんとなく見えていた。
「コミュニケーション能力」では解決しない
現在の社会は、こういう問題を「コミュニケーション能力」で解決しようとしている。
もっと話し合いましょう。
もっと報告しましょう。
もっと情報共有しましょう。
でも、それで解決するんだろうか。
どんなに話し合っても、24時間365日働く人の生活は、9時5時の人には想像しにくい。
弁当を食べる暇もない忙しさは、定時で帰る人には伝わりにくい。
「想像力を持ちましょう」と言うのは簡単だけど、見たことがないものを想像するのは、そもそも難しい。
組織と学びの共通点
細分化して効率を追求する。それ自体は悪いことじゃない。
でも、全体が見えなくなると、応用が効かなくなる。
機転が利かなくなる。
これ、組織の話だけじゃない気がしている。
学び方にも同じことが言えるんじゃないだろうか。
何かを学ぶとき、「ここだけ覚えればいい」「この手順だけやればいい」と部分に集中する。その瞬間は効率がいいように見える。
でも後になって、応用が効かない。想定外の状況に対応できない。「マニュアルに書いてないから分からない」となってしまう。
パイロットの訓練でも、よく見かけた光景だ。
手順だけを覚えた人は、想定外のことが起きると固まってしまう。でも全体像を理解している人は、「今、何を優先すべきか」が分かる。
昔の沖縄のスタッフが、千歳の大雪を気にして朝から動いていたのも、同じことなのかもしれない。
全体が見えていたから、自分で判断して動けた。
効率を求めて細分化する。部分だけを切り取って学ぶ。
その先に待っているのは、「見えていない」という問題なのかもしれない。
私も含めて。