· パイロットの目 · 11 min read
羽田沖事故で見た機長の真実
朝、事務所に着くと、 「小野、すぐ飛べ! 飛行機が落ちた」 と言われました。 「また〜、何、冗談を言ってるんですか?」 「冗談なんかじゃないよ。見てみろ、尾翼が見えてるだろ」
信じられない朝の知らせ
朝、事務所に着くと、
「小野、すぐ飛べ! 飛行機が落ちた」
と言われました。
「また〜、何、冗談を言ってるんですか?」
「冗談なんかじゃないよ。見てみろ、尾翼が見えてるだろ」
滑走路の先に、旅客機の垂直尾翼のようなものが見えています。
最初は信じられずに、滑走路で離陸を待っている飛行機の尾翼を見間違っているのだろうと思いました。
自分の見えているところに飛行機が墜落しているなんて、到底信じることなんてできません。しかも羽田空港で。
でも、よく目を凝らしてみると、滑走路より低いところから尾翼が出ている。
「なんであんなところに???」
抜け駆け合戦
航空局にフライトの許可申請を出すと、全面飛行禁止の通告。羽田の管制圏内は、あらゆる飛行が禁止されていました。
でも、いつ解除になってもいいように、格納庫の前に機体を出してエンジンもスタート。読売新聞、朝日新聞社も同様で、ヘリコプターのローターが回っている状態で待機していました。
20分ほど経った時、一機のヘリコプターが北の方から事故現場に向かって飛行していくのが見えました。
各社が一斉に管制塔に対して、「ヘリが飛行してるじゃないか?」「なんで私たちに許可が出ないんだ」と矢継ぎ早に無線が交錯します。
どの社が最初かはわかりませんが、離陸していきました。
「あっ、やばい遅れる」
私も負けてはならないと、咄嗟にヘリの出力を上げて離陸していきました。
現場で見た光景
現場までは2〜3分。上空に上がると、もう2〜3社の機体が旋回し、各社とても低い高度で取材に入っていました。
あっという間に7〜8機の取材機が集まりました。
その機体は、アプローチライトの手前で、胴体着水していました。
航空機の前方は激しく損傷し、コックピット付近は完全に胴体の中にめり込んでいました。
両翼と胴体は、水面の上に出ていて、乗客と見られる人々が翼の上に立っている様子が確認できました。
周囲にはエンジンや車輪、と見られる破片が点在しており、事故の激しさを物語っています。
ボートやゴムボートが出て、人が乗り込み、岸の方へと搬送されていました。
機首の損傷のわりに怪我人の様子もあまり見えなくて、よくぞ助かってくれたと思いながら飛行していました。
その時、後ろから叫び声が
「あのゴムボートによれ〜〜〜!!!」
と後ろのカメラマンから叫び声が。
「もっと、もっと、近く」
最初はなんで??と思いましたが、ゴムボートの中に、他の人が俯いている中、こちらを見上げる顔がありました。
その人はカーディガンを着ていました。
カメラマンが、なんであの時のあのゴムボートへ寄れと言ったのか、私にはわかりません。
現像された写真の衝撃
次の日だったでしょうか、一枚の写真を見せられて、
「小野さん、航空大学校ですよね。この人先輩じゃないの?」
と言われました。
その写真には、ゴムボートからこちらを見上げている顔が大きく映っていました。
「なんでですか?」
「この人機長みたいだよ」
「そんなバカな、機長が乗客と同じに避難するわけないでしょ」
信じられませんでした。
その写真は産経新聞だけが撮っていたものだったようです。
知らされた真実
航空大学校は帯広や仙台と点々とするので、先輩後輩が長く知り合う場所もなく、私は知らないと答えました。
その後の報道で、当該機の機長だということを知り、びっくりしました。
機長が乗客と一緒に避難している。墜落した原因もあまりにも予想外で、びっくりした記憶があります。
精神疾患があり、当時操縦していた時は心神喪失状態ということだったようです。
システムの矛盾
ここで大きな疑問が生まれました。
精神疾患で機長をしていたという矛盾。
なぜそれが事前に分からなかったのか?周りの人たちはなぜ気づかなかったのか?
それ以降、私たちが受ける身体検査が厳しくなり、精神疾患の検査も入ってきました。
世界的に、パイロットの心のケアという方向に舵を切るきっかけとなった事故でした。
複雑な気持ち
あの時の気持ちは今でも複雑です。
報道の使命として現場を伝えることは大切。でも同時に、管制塔の指示を完全に無視してしまいました。
報道の力って恐ろしいと思いました。
そして何より、写真に写ったあの機長の表情。
精神的に苦しんでいる人が、なぜ人の命を預かる立場にいたのか?
本人は助けを求められなかったのか?
実は、みんな気づいてた
後で聞いた話ですが、会社の中に「あれ?どうしたんだろう?」という人は何人かいたようです。
でも誰も声を上げなかった。声を上げても変わらないと思っていたのかもしれません。
助けを求めている人の声を、私たちは本当に聞いているのでしょうか?
頭の良い人ほど、苦しみや痛みをとことんまで隠してしまいます。
自分でも無意識に隠して、精神の辻褄を保とうとするようです。それが何かの拍子でガタッと崩れると、取り返しのつかない状態になってしまう。
頑張りすぎじゃないのかな〜って思っていても、そんな時に声をかけるのって難しいですよね。「余計なお世話かな」「傷つけちゃうかな」って思っちゃう。
本当の安全って何だろう
技術や規則だけじゃ、人は守れないんですね。
本当の安全って、「この人に相談していいんだ」って思える関係にあるのかもしれません。
あの事故から何十年も経ちましたが、今でも考えます。
もし誰かが「大丈夫?」って声をかけていたら、何か変わっていたのでしょうか?
あなたはどう思いますか?
苦しんでいる人のサインに、私たちは気づいているでしょうか?
そして、自分が苦しい時に、素直に「助けて」って言えているでしょうか?
皆さんの周りでも、「あの人、最近疲れてそうだな」「元気がないな」って思う人、いませんか?
でも「大丈夫?」って声をかけるのって、勇気がいりますよね。
Share