「ま、いいか」で1000万円を失った日
高速化で、小型JETの導入が決まりました。セスナサイテーションという双発の小型JET機です。 JET機の特性で、安定性、操縦性能に長けたとても良い機体でした。 訓練は、ウィチタ州のフライトセーフティーという訓練学校でやります。海外訓練が嬉しくてたまりませんでした。 ウィチタ空港は、アメリカの真ん中にあり、東西の都市から飛行機でみんな集まって会議をするところです。
高速化で、小型JETの導入が決まりました。セスナサイテーションという双発の小型JET機です。 JET機の特性で、安定性、操縦性能に長けたとても良い機体でした。 訓練は、ウィチタ州のフライトセーフティーという訓練学校でやります。海外訓練が嬉しくてたまりませんでした。 ウィチタ空港は、アメリカの真ん中にあり、東西の都市から飛行機でみんな集まって会議をするところです。
8ヶ月の整備見習いが終わって、ついに空に戻れる日がきました。 「これでやっと飛べる」 固定翼のパイロットの方が、高齢でやめることになり、私が固定翼の免許も持っているということで、パイロットとしての訓練をやってもらえることになりました。 とりあえず、ヘリコプターの免許からということになった。
卒業式では、家族を呼んで、その前で編隊飛行を披露します。 訓練の後半は、編隊飛行の訓練でした。編隊を組む時は、計器も外の景色も何も見ません。付いていく機体だけを見ています。 アンテナやスキッド(着陸脚)などの見え方を一定にするように操縦します。自分が動いているのに、相手が動いているように感じてしまうのです。
1977年に航空大学校を卒業した私たち。前年まではJAL、ANA、東亜国内航空へ希望したところへの就職が当たり前だったのに、私たちの代からぱったりと就職がなくなりました。 石油ショックの影響で航空業界全体が大打撃を受けていたのです。 卒業の時は、ほとんどの学生の就職が決まっていませんでした。
宮崎での計器飛行訓練を終えた私たちは、いよいよ最後の課程である仙台へと向かいました。ここでは双発機(エンジンが2つある飛行機)のライセンス取得が主な目的です。 これまでの単発機とは全く違う世界が待っていました。 仙台課程での主要な訓練は双発機のライセンスを取る訓練です。その中でも最も重要で、最も恐ろしい訓練がエンジン故障への対応でした。