ヘリコプター免許取得後の現実
卒業式では、家族を呼んで、その前で編隊飛行を披露します。 訓練の後半は、編隊飛行の訓練でした。編隊を組む時は、計器も外の景色も何も見ません。付いていく機体だけを見ています。 アンテナやスキッド(着陸脚)などの見え方を一定にするように操縦します。自分が動いているのに、相手が動いているように感じてしまうのです。
卒業式では、家族を呼んで、その前で編隊飛行を披露します。 訓練の後半は、編隊飛行の訓練でした。編隊を組む時は、計器も外の景色も何も見ません。付いていく機体だけを見ています。 アンテナやスキッド(着陸脚)などの見え方を一定にするように操縦します。自分が動いているのに、相手が動いているように感じてしまうのです。
人間をダメにしてしまうのは、至極簡単です。 何かやっている最中に、ちょっと声をかけるとか、違うことに意識を向けるようにすると、人間は簡単に操作をスキップしたり、間違ったりします。 やるべきことが、重要で、簡単なルーティーンであればあるほど、たやすく、スキップやミスをさせることができます。
自衛隊の霞ヶ浦駐屯地業務隊、航空学校霞ヶ浦校に民間委託生として入校することになりました。同期は6名。それぞれ卒業後の就職先は決まっています。 私はというと、「絶対に角刈りなんかしないぞ」と意気込んで、わざわざパーマをかけて入校しました😅 ところが拍子抜け。髪型については一切言及されませんでした。
1977年に航空大学校を卒業した私たち。前年まではJAL、ANA、東亜国内航空へ希望したところへの就職が当たり前だったのに、私たちの代からぱったりと就職がなくなりました。 石油ショックの影響で航空業界全体が大打撃を受けていたのです。 卒業の時は、ほとんどの学生の就職が決まっていませんでした。
宮崎での計器飛行訓練を終えた私たちは、いよいよ最後の課程である仙台へと向かいました。ここでは双発機(エンジンが2つある飛行機)のライセンス取得が主な目的です。 これまでの単発機とは全く違う世界が待っていました。 仙台課程での主要な訓練は双発機のライセンスを取る訓練です。その中でも最も重要で、最も恐ろしい訓練がエンジン故障への対応でした。