機長「らしさ」という呪縛が人を変える
機長昇格訓練に入った頃、私たちが求められていたのは「コマンダビリティー」でした。 簡単に言えば、部下にしっかりと指示ができる人間性と、豊富な知識・経験。要するに「機長は立派で、正しくないといけない」という概念です。 でも、この「らしさ」が、人を恐ろしく変えてしまうんです。 機長昇格訓練で求められるのは、大量のノートを作っていないと「勉強をしている」とみなされないことでした。
機長昇格訓練に入った頃、私たちが求められていたのは「コマンダビリティー」でした。 簡単に言えば、部下にしっかりと指示ができる人間性と、豊富な知識・経験。要するに「機長は立派で、正しくないといけない」という概念です。 でも、この「らしさ」が、人を恐ろしく変えてしまうんです。 機長昇格訓練で求められるのは、大量のノートを作っていないと「勉強をしている」とみなされないことでした。
路線部門へ移る前のヘリコプター事業部での経験を加味され、副操縦士は3年で終わることができました。 機長昇格には「セニョリティー」という年功序列のようなシステムがあって、副操縦士になった順番に機長昇格訓練に入ることになります。組合のおかげと周りの支援のおかげで、順番を確保することができました。
副操縦士になっても、変な見栄は続いていました。今思うと、自衛隊の訓練でもパーマをかけたり、なんか意味不明の見栄を張っていたのが、副操縦士になってもそのまま続いていたんです。 「俺は機長をやってたんだぞ」 そんな気持ちが、心の奥底にずっとありました。今思うと、航空大学校からスムースに行かなかったことに、意味を見出そうとしていたのかもしれません。
DC-9の訓練は、まず座学から始まりました。マニュアル類は充実していて、訓練もシステム化されて、全てがどんどん流れていきます。旅客機といっても中型の163名乗りでしたが、全てが新鮮で、追いつくのに一生懸命でした。 座学を終えると、いよいよフィンランドでの実機訓練です。 5月6月の訓練期間は、まさに白夜の季節。
私はというと、やっと自分の希望していた路線部門に移れると聞いて、嬉しくて嬉しくてたまりませんでした。 まだヘリコプター事業部に在籍中のこと、路線運航のオブザーブということで、操縦席にあるジャンプシートに乗務させてもらい、東京から女満別の便を見学させていただいたことがありました。 取材飛行の喧騒とは全く違いました。
私たちヘリコプター事業部は、革新的なことに挑戦していました。 今まで、ヘリコプターは地文工法—つまり人の目だけを頼りに飛んでいました。天候が少しでも悪くなれば、すぐに飛行中止。これでは定時制なんて夢のまた夢です。 それまでのヘリコプターの仕事は、薬剤散布、物資輸送、送電線の点検など、天候の良い時だけの仕事でした。