1985年8月12日の記録 - 報道現場からの証言
1985年8月12日の夕方、私たちは新橋で何かの打ち上げだったと思います。パイロットと整備さんで焼き鳥屋の座敷に座っていました。 暑い夏の日でした。 ビールが運ばれてきて、みんなの前に置かれ、さあ「カンパ〜〜い」と言ったその時、お店の人から声をかけられました。 「部長!産経のデスクから電話です」 「...
1985年8月12日の夕方、私たちは新橋で何かの打ち上げだったと思います。パイロットと整備さんで焼き鳥屋の座敷に座っていました。 暑い夏の日でした。 ビールが運ばれてきて、みんなの前に置かれ、さあ「カンパ〜〜い」と言ったその時、お店の人から声をかけられました。 「部長!産経のデスクから電話です」 「...
パイロット時代、天気もいい、機体や運航システムも問題なし、でもなんとなく「嫌な感じ」がすることがありました。 今の時代、経済的な運航を求められていて、天候が良好な時の予備燃料は、代替空港までの燃料プラス5〜10分程度しか搭載していません。地震や、バードストライクなどで空港が一時閉鎖されると、すぐに他の空港に行く決断をしなくてはいけない状態になってしまいます。
朝、事務所に着くと、 「小野、すぐ飛べ! 飛行機が落ちた」 と言われました。 「また〜、何、冗談を言ってるんですか?」 「冗談なんかじゃないよ。見てみろ、尾翼が見えてるだろ」
納入された機体の塗装は、青いラインの入ったシャープな機体でした。 それをなぜか、ピンク色です。 その当時は、取材用の小型のAS350と、人員輸送用のシコルスキー S76という世界最高のヘリコプターも持っていました。 すべての機体をピンク色にしました。
高速化で、小型JETの導入が決まりました。セスナサイテーションという双発の小型JET機です。 JET機の特性で、安定性、操縦性能に長けたとても良い機体でした。 訓練は、ウィチタ州のフライトセーフティーという訓練学校でやります。海外訓練が嬉しくてたまりませんでした。 ウィチタ空港は、アメリカの真ん中にあり、東西の都市から飛行機でみんな集まって会議をするところです。
コミュニケーション能力ってなんでしょうね。 人とうまくやることなのでしょうか? 企業の中で、コミュニケーションという問題は大きくなっています。 航空界の事故でもコミュニケーションに関わるヒューマンエラーが多くなっています。 だからこそ、アサーションだの、傾聴スキルだの、コミュニケーション能力向上を謳うセミナーがたくさんあります。